【WASABI MUSIC】Vol.1:音楽との出会い 〜captain hedge hog〜

このシリーズは僕(WASABI)の音楽についての雑記となります。
初回は「音楽との出会い」というタイトルでなんか仰々しい感じなんですけど、
まぁ、僕自身音楽にすごい詳しいわけでもなく、バンドも男子には有りがちな “高校生の時にコピバンやってました” という程度です。恥ずかしい。
そんなですけど、人生において様々なタイミングで音楽に助けてもらった1人として、
備忘録的に書いていこうと思います。
前置き(出会いまで)
小学校の時にスラムダンクが連載開始、それを読んだ僕はバスケットに熱を入れ、中学ではキャプテンをやっておりました。
勉強も人並みに頑張り将来は中学校の教員になってバスケット部の顧問になることが夢に。
そんで高校に入りバスケット部に入部した僕ですが、ひょんなことから監督(日体大出身の超こわい人)とケンカになり、
勢いで退部してしまいました。
今思い返すと子どもだったなぁと思いますが、その頃の僕には我慢ならない事態だったわけで。
退部した僕がふらふらしていると、
▼親
あんた、部活辞めたんだったらバイトしなさいよ!怒
ん?ああ・・・
▼同じクラスの華道部の女子
◯◯くん、一緒に華道やらない? ◯◯くんと◯◯くんも部活辞めたから華道やるって言ってるよ!
おお、華道!? あー、あいつらがやるならやってみよっかな。
フェッフェッフェッ…。
という感じで、バリバリの体育会系の男子が、
学校では生け花をやり、学校が終わったら◯◯寿司(回転寿司)でバイトをする。
という生活に様変わり。
付き合う友達が変わる
そんな生活の中、やはり部活を辞めると付き合う友達も少しずつ変化していくもんで、
帰宅部や、登山部、将棋部、演劇部のやつらと遊ぶようになっていきました。
※それまではバスケット部が中心
今までバスケット!バスケット!と、バスケのことしか考えてなかった僕はそこで色々なカルチャーと出会うことになります。
1つ目にスケボー。みんな学校が終わるとスケートができる場所に行って滑りまくる。
次に麻雀。バイトがないやつらが集まってジャラジャラ。
そして最後は音楽。
みんなギターやら、ベースやら、ドラムやら、トランペットをやっていて、
1番一緒にいた友達がギターをやっていたので習うことに。※アコースティックギターっす。
やってみたらまぁ楽しい。
もともと歌うのが好きだったので、ギターを弾きながら歌う。これが楽しい。
出会い
そんな生活の中で1人の友達が持ってくるわけです。
僕の人生(聴く音楽の。っていう意味ね。)を大きく変えた1枚を。
「これめっちゃ良いよ!すげー、まじやべー!」って。 ※千葉の田舎の人達なのですみません。
それがタイトルにもあるとおり「captain hedge hog」の「BONANZA」というアルバムです。
※このあとは “キャプテンヘッジホッグ” って言うのがめんどいので、「キャプヘジ」でいきます。
↓これは今iPhoneで撮りました。高校生の時に買ってずっと持ってる。

このアルバムを聴いた瞬間に衝撃。
今まで聴いてきた音楽(テレビで流れているもの)とは、全然違う。
情熱が溢れてる。
全部英語なので、なんて言ってるのか歌詞を見ないとわからないけど。でも超いい。
ま、僕の説明よりも実際の楽曲を聴いてもらったほうが良いので貼っときます。
キャプヘジ説明
wikipediaの情報をもとに載せておきますね。
メンバー
渡邊忍(Vo&Gt)
バンドの楽曲のほぼ全ての作詞作曲を担当。
使用ギターはギブソン・レスポール・クラシック等。アンプは主にマーシャル製のものを使用。
解散後は、新たにASPARAGUSを結成し、活動している。また、パーティーバンドとして、ANITA CHILI PEPPERSにも参加している。
奥脇雄一郎(Dr)
使用ドラムは主にLudwig製のドラムを使用している。
解散後は、puliを経て、現在は、BEEFのドラマーとして活動。
KAZUO “0343” (Ba)
使用ベースは、フェンダー・ジャズベース。 バンドの一部楽曲の作詞を担当している。
解散後は、普通に働いているようである。時折、BEAT CRUSADERSのライブで「ISOTONIC」が演奏される際に、特別ゲストとして出演している。
概要
1993年結成。
横浜を中心にライブ活動を始め、1995年頃から、コンピレーションCDへの参加が増える一方で、ライブ活動も積極的に行ってきたが、1997年に自主レーベル「MILKTANK RECORDS」を設立し、6月1日に1stアルバム「CHEST」をリリース。
7月には7インチEP「LEMON」をリリースし、インディーズバンドとしての本格的な仲間入りを果たす。
1999年1月21日には2ndアルバム「BONANZA」をリリースし、初めての全国ツアーを成し遂げた。
2000年9月から10月にはSHORT CIRCUITとTHUMBとのスプリットツアー「9人の侍ツアー」を行う。
そして、2001年9月21日には3rdアルバム「DOLPHIN」をリリースし、12月から2002年1月にかけて全国ツアーを行った。
ツアー最中の1月16日にはマキシシングル「You can’t feel the change of seasons」をリリースするなどの積極的な活動が見られたが、4月22日には解散発表。
7月1日にマキシシングル「MONDAY JUNCTION」をリリースした後の7月4日に解散ライブ「LAST GIG」をSHIBUYA-AXにて行い、CAPTAIN HEDGE HOGとしての活動に終止符を打った。
解散後は渡邊はASPARAGUSを結成。
奥脇はpuli、BEEF等のドラマーとして活動、KAZUO “0343” は普通に働くなど、それぞれの道を進んでいたが、2009年、かつてバンドが所属していた3P3B.Ltd(MILKTANK RECORDSは傘下レーベル)の設立10周年を機に期間限定で再結成。
2009年1月21日に渋谷GIG-ANTIC閉店ライブを皮切りに、3月20日には下北沢SHELTERにて九人の侍completeライブを行った。
そして、正式な再結成ツアーとして、「LAWRENCE TOUR」を行い、翌年4月26日に「LAWRENCE TOUR」のSHIBUYA-AX公演の模様を収録したライブDVD「LAWRENCE TOUR LIVE AT SHIBUYA-AX JULY 4th 2009」をリリースし、再結成活動を終了する。


昔の画像だから、どれも小せえ。。。
その後〜2002年頃。そして。
高校1年の終わりごろにキャプヘジを知ってしまった僕はもう戻れない。
その他にもいろいろな所謂 “インディーズ” のバンドを聴く生活。
青春特有の辛いこともキャプヘジはじめ、インディーズバンドの音に助けてもらいました。ありがとう。
その後キャプヘジは「9人の侍ツアー」をやったり、
※行けなかったけどビデオを何度も見て興奮したな。
その後のアルバム「DOLPHIN」も超良くて感動したり。
だけど、2002年の7月のライブで解散。という知らせが。
出不精の僕でもさすがにこれは行きました。はい。行かせていただきました!SHIBUYA-AX。
そりゃ、泣くよね。
それと同時にその時僕も20歳。
キャプヘジの解散とともに “青春” って言える時間が終わった気がしました。
ありがとう。
ま、変わらず40代になっても聴いてるけどね!!!!
特にキャプヘジ好きな人はみんな大好きこちらの曲。
次回
次回は、キャプヘジに出会った僕がその他にどんなバンドが好きだったか(だった じゃないな、今でも好きだな)、
1バンドずつ紹介していければと思ってます。
もしかしたら全然違う内容になるかもだけど。そん時は勘弁してね。
ではでは〜